ようこそ、じょんのび庵ZENへ。

古民家の改修7



古民家の改修 7

八ヶ岳SA


2011年 11月




11月6日、私達は急遽
今年最後の新潟に車を走らせました。

丁度、今は紅葉のシーズンで山梨と長野の山々は
美しく紅葉しておりました。

でも新潟ではもう殆んど赤くなった葉は少なく、
山々が黄色に染まっていました。

先月29日、お隣の師匠が亡くなったとの
訃報連絡が入り、出掛けることにしました。

今回は部落の方が4人も急に亡くなってしまう事態で
あまりにも悲しい新潟行きになりました。

お隣の、つうえもん師匠は、定年退職してまだ2年。
まだ若くこれから人生楽しんでほしかったのに
本当に残念です。

2011年6月

今まで色々なところへと遊びに連れていって頂き
田舎の生活の技や、海釣りの技を教えて頂いた
友人でもあり師匠です。

師匠は人生の達人でもあります。

部落の方達からは、いい友達、いい仲間だったのにと
言ってくださいました。

この2年間、いい思い出が沢山出来、
貴重なことを学ばせて頂きました。
感謝しております。

いつも私達の事を気にかけて下さり
助けて頂きました。

誰よりも山を愛し、海を愛した男。
正に、男の中の男といえる。
もっともっと長生きして欲しかった。

うちの畑を使ってもらうことになった時、
嬉しそうに畑を耕す師匠の顔が忘れられません。

畑を耕す師匠

ずっと使い続けて欲しかったです。

入院中はご家族の献身的な付き添いを見るにつけ
何度も心を打たれました。

あのような強い絆で結ばれたご家族を
今まで見たことがありません。

師匠は激しい痛みと格闘しながらも
そんな暖かいご家族に看取られて
きっと安らかに眠られたことでしょう!
心よりご冥福をお祈りいたします。


そして、師匠のおばさんが亡くなり、偶然にも
おじさんに至っては師匠と同じ日に亡くなるという
珍しくも悲しい出来事が重なり、

部落の守るお地蔵様

ご家族の心境を思うといたたまりませんでした。
重ねてご冥福をお祈りいたします。

ご家族が一日も早く、元気になられることを
ただただ願っております。

私達もいつまでも悲しみに打ちひしがれて
いられません。

気を取り直し、
これから師匠の分まで人生前向きに
生きていくことを決意いたしました。






11月 初旬の「じょんのびアン」


「じょんのびあん」は今年最後の
滞在になり、冬じまいをほぼ終えました。

11月のじょんのび庵

先月、最終の予定だったので
電気温水器の水抜きは済ましてあるし
今回は何処かの温泉へ行きます。


雪囲いも済んでいて、
今回はほとんどの作業はありませんが、
部屋の古民具の飾り付けなどをしました。

それと玄関の踏み台を新しく交換したのに
身内で評判が悪かったので、
再検討するため再度「けやき屋」さんへ
出掛ます。


実は、それは口実で、塞がれてしまった心に
明るい光を求めて出掛けて行きたかったのです。

「みの」と「雪かき」「鯉」

でもその前にやることがあります。

静岡の家から持ち込んだ古民具の「戸板」と
「雪かき道具」や「みそへら」を何処かに
ディスプレイするのです。


そういえば先月、魚沼で購入した黒いハシゴも
どこかに設置しなければなりません。


「雪かき道具」は木で出来ていて
「みの」と良く合うので横に二つを並べて
飾ることにしました。


場所が問題ですが白色の背景というと
階段タンスのところが丁度いいことが判りました。

雪かきと鯉

しかもその横がトイレなので、いままでトイレに
あった鯉の花入れを雪かきに合わせることに
しました。


取りつけは、木に穴を開けるのは止めて、
「ひも」でしばりました。

陶器で出来ている「鯉の花入れ」は
顎の下に穴があって便利です。

昔は私の家の畑のトイレに「青い鯉」の花入れが
あって、いつもそこには、花が活けられていたのを
思い出したからでもあるのです。


戸板というより自然木の戸

その次は、静岡から持ち込んだ「戸」です。
縦の3本の木は普通の枝です。


自然木の枝を利用してあります。


キチンとホゾ穴がノミで掘られていて
その四角の穴へ、細い横木が通されていて
職人の腕の良さが見てとれます。
下には車が2つ付いています。


よくこんな事までしたものと
感心しますが、これと同じものを以前、
焼津の小料理で見たことがありました。

床の間の前方へ置きました

多分今でも使っているはずです。
部屋の入口に使い、さらに障子があるところです。


とりあえず目立つようにと漆喰の壁に
立掛けて、横には囲炉裏の鉄の魚自在を釣りました。
下には花と丸い照明器具を置いて良しにしました。


いろいろ考えてみると、何とかなるものです。
こうして考えるのも楽しみの内です。

いつもうまくいくとは限りませんが、
しょっちゅう模様替えが起きます。


さらに、みそべらを飾りますが、これは
台所に決まりでしょう。
他に置くところがありませんので

一番左の柄の長いものが今回取り付けられました

ドリルで穴を開けてからヒモを
取りつけて、ある釘に引っ掛けました。


下には、お釜と石臼などがあり。
大分古民家らしくなって来ました。


こういった農家風が私の好みです。
柱には懐かしい「ところてん」道具や
ヒシャク等が置かれていて、その右の柱には
台所の神様が祭られています。


小さな「とっくり」を2本乗せる為に、
台は木で作り塗装してあるのですが
普通になじんでいます。

囲炉裏暖房用に電気コンロ

台所と言えば、先月、電気コンロの一つが
壊れてしまったので持ち返り、
静岡で修理して持ち込みました。


電源スイッチが壊れたので
スイッチを購入して交換し、さらに
ランプを取りつけるのに、硬い鉄板に


15ミリほどの穴開け作業をひいられたのですが、
幸い、昔買ったシャ―シーパンチがあったので
何とか修理に成功。


それで、今回、予備器を囲炉裏の暖房用に
使ってみました。

何しろ1.2キロワットという大きな消費電力なので
以外にも暖かく、部落の人の評判も良かったので、

囲炉裏

来年は、カーボンヒーターのストーブを
囲炉裏の中心へ設置する予定です。

しかも電気も大分節電になるはずで
さらに暖かくなります。


改善する事はいくらでも出てきてしまい
少々出費が重なりますが、やけどやケガが無いように
しなくてはいけません。


今回、不覚にも、右足をコンロに乗せてしまい、
「アッチッチー」と
熱い思いをすることになりました。


正直、熱すぎましたが・・
足の皮が厚かったらしく、

カゴにもみじが・・

大した事が無かったのですが
靴下が一瞬で大穴が空いてしまい、
そのままゴミ箱行きになりました。


来年はそんな事が無いように工夫するつもりです。
そうしないと部落の人を呼べませんから。

そのあと、大広間の右にある大カゴを
中央へ移動して、中にもみじ?を入れました。

カゴを移動したのは部屋をスッキリと
見せるためです。


居間側から部屋を見た時に、壁の白い空間が
邪魔されてスッキリしていなかったのです。
そのため、目立たない中央へ移動しました。

部屋の東面へカゴを移動

やはり創造した通りに壁がスッキリして
気持よくなりました。

ほんのチョットしたことですが
チョットの差が大きな成果につながります。

あと今回の作業といえば
トイレの人感知ランプの為の100Vの
灰色の配線コードがぶらぶらしていたので
コードカバー?をコメリで買ってきました。


寸法を合わせて切断したら、
初めからついている両面テープを剥がし
木の壁に付けてセットになっている
フタを被せます。

トイレの電気コードにコードカバーを取りつけ

ただ今回90度に曲げるところがあったので
「曲がり」という部品も買ってきて使いました。

ただ、これは後から考えると、角を90度ずつに
切れば事足りたのでした。

最初から綺麗に切断されているので
自分で下手に切るよりはマシというだけで、

綺麗に、しかもしっかりと90度に切れれば
なんの問題もありません。

このカバーですが、0.5号 と1号が
売ってます。

灰色の被膜が有る太い電線にやるなら1号、
もっと細い線を被せるなら0.5号が合います。

太い線は1号でなければ無理というものです。

色もいろいろあるので壁の色に合わせたものを
購入すると壁に溶け込み、自然に見えます。

木の壁に溶け込み目立ちません

白色、クリーム色、薄い茶色、木目調、
 濃い木目調などが売られていました。

今回は白木につけるので「薄い茶色」を購入。


値段も高いものではありません。
切断は細眼ののこぎりを使用しましたが
カッターナイフでも切れるでしょう。


ほんのちょっとした事ですが、
こんな風に綺麗にカバーされると

今まで毎日、気になっていた灰色のコードが
見えなくなり、とてもスッキリしました。


購入したカバーは白木用だったらしく
ピッタリと壁木と同じ色あいで
カバーも目立ちません。

組み立て式踏み台を固定しました

ついでに、折りたたみ式の踏み台を使って
いるのですが、良く「ガクン」と急に広がるので
大変危険です。



そこで、広がった状態で固定してしまい
安全に使用できるように、角材と「ねじくぎ」で
止めてしまいました。


今までも何度か、「ガクンッ」ときて腰を痛めた事があります。

もっと早くやっとけば良かったのにな~と
思いましたが、今までそんな余裕が無かったか?


これで折りたたむことは出来なくなりましたが
ケガをする前に安全第一です。


コタツでお昼寝中





翌日、雨降りにもかかわらず例の「けやき屋」さんへ
いくことにしました。


この季節、新潟は秋も深まり、
どんよりとした天候が続くのですが
残念ながら今日は朝から雨です。


けやき屋さんでの今日の予定は、この前買い忘れた
細長い「とっくり」と玄関用の踏み板を購入します。

11月のじょんのび庵

とっくりは結構古いとっくりで、口が2か所欠けていて、
残念ですが色合いや雰囲気がいいので
花入れにはピッタリのはずです。


口が割れているので、値段もそれなりですが、
誰も買う人は無く、ずっとそこにあります。
多分昨年からあるのでしょう。


行ってみると確かにまだありました。

それと、玄関の踏み台として使う予定の
昔の裁縫テーブルを購入します。


お店には10個ほどの裁縫用テーブルが置いてありました。
実は先月も一つ購入したのですが、
高さがチョット高いので今一でした。

今までの踏み台はテーブルとして使用します

家に上がる時は良好ですが、逆に降りるときに
靴を履にくくなりました。

なので少し高さが低いものを探します。

昔の裁縫テーブルの材料は広葉樹の堅い木を
使用してあるのでずっしりと重く、安定します。

木目の少ない「けやき」などが多いのですが
色あいは様ざまです。


ヘラを強く押し当てるので「へっこんだり」
傷が無数にありますが、それが逆に
味を出していて面白い。

今までの踏み台はテーブルに!

足は組み木で2つ必ず付いています。
足は板と同じ材と厚さのものが使われます。

今回は幅39cm 長さ1.5mほど、
厚さ5cmもある「ケヤキ」にしました。

普通の「ケヤキ」より木目は控えめです。
それに色は白っぽい薄茶色です。

持ってみると重くて、ずっしりしていて
腰にきます。
値段はこの前の物より2倍以上です。

もう少し長さが欲しいところですが
それに決めました。

多分今度こそ「じょんのびアン」にピッタリの
玄関の踏み台になるでしょう。



それと今日は珍しい古いお皿を見つけました。
絵が面白く、花などが一面に描かれています。

赤絵と緑色で描かれていていますが
相当古いもので江戸中期ほどありそうに見えます。

赤絵皿

良く見ると茶色の細かい線がいっぱい入り
釉薬にヒビが入っているのかも。

それにしても古くて絵にも赴きが
感じられます。


それに1か所だけ欠けが見つかりました。
ほんの1ミリほどの欠けがありますが
値段が値段だけに良しにします。

限りなく完品に近い状態ですが、
いずれ修理する予定です。



とりあえず買う事に!

それにしても、本物の民芸というものです。
30年で初めて見つけた珍しい絵皿です。

赤絵皿を飾ってみました



これなら松本民芸館に飾られていても
見応えがあるものというもの。
何の違和感もないと思います。

多分、「丸山太郎さんも買うでしょう」。
と言ってまーちゃんを説得。

先月の大皿は直径42cmもあったけど
これは30cmほどのものなので
何処でも飾れます。

値段は大皿の丁度5分の1と安かった。

先月に続き、3連続「掘り出しに成功!」
静岡では絶対あり得ない事です。

版木

その他、版木を一枚購入。
これは笹のモチーフで
緑色が実に日本的でそのまま飾れるものです。



何枚かが有って、笹が多いものを選択しました。
実際版木として使っても面白いものです。

その他、真っ黒い昔の「そろばん」も購入しました。
以外にも「そろばん」が好きで、何個かあります。

珍しい「丸玉」のそろばんや、
「小さいそろばん」などです。



これは囲炉裏の煤に当たり、本当に黒く
ここまで完全に、しかも自然に黒いものは
初めてです。

古くて黒いそろばん



35年も見てきても初めての「そろばん」です。
500円でした。普通2000円が相場です。


その他、ここに来るたびに良い物が見つかるので
つい購入してしまうのですが、繊細なガラスの
器が見つかり購入しました。


丸山太郎の「美しいものが美しい」という
有名句を思い出し、それを見た時の
基準になりつつあります。


で、結局、基準に適合していたので
こんなものも購入。

繊細で美しいガラスの器です。

何処にも名が無く、かなり薄い造りですが、
上品さを感じさせます。

そんなに古いものではなさそうですが・・
「直感」で買いました。

これは完品ですが来年の夏に使ってみたい
器です。見てるだけで涼しくなります。



どんな物でも、使わないと本当の事が判りません。
使う事はとても重要です。

購入したとっくりをこのように花入れに
使ってみたら、以前の白い「貧乏とっくり」より
少し上品になりました。

早速、花入れとして使いました



結局、このとっくりは「けやき屋」さんに
サービスとして頂いてしまいました。
けやき屋さんの奥さんに感謝です。


前回も「まねきネコ」セットの7つも
頂いてしまい、ありがとうございます。


こうして今回は、掘り出しものが多く見つかり
懐具合も軽くなりましたが、

心も軽くなり、けやき屋の奥さんに
別れを告げて車は長岡の町へと向かいました。




5分ほど走ると左に岩塚製菓(株)の直売所があり
初めて入ってみることにしました。

製菓会社の出店

実際そこではおばさんが油で「おせんべい」を
あげていて、試食もできます。
チョットつまんでみると美味しかった。


醤油あられ大袋で1つ480円のものや
柿の種チョコ等を購入して車に戻ると
血糖値が落ち、身体が震え出しました。


「おお~これはイカン」と「あんパン」を
急いで食べ始めました。


骨董を見て回るといつもこんな風に
血糖値が落ちてしまいます。

いかに、頭を使って考えるかの証明です。
頭を使うというのは物凄いエネルギーを
使うかの良く分かります。

製菓会社の工場

凄い運動をしたのと一緒なので
お医者さんが喜ぶというものです。

血糖値が下がるのは良い事ですが
問題なのは、下がり過ぎる事です。

実際、コントロールが難しいのですが
高すぎるのはもっといけません。


ふと反対側を見ると大きな工場があるでは
ありませんか。こんなところにあったなんて
知らなかった!

しばらく走ると左にセブンイレブンがあり、
ここで早めのお昼を買い、車内で食べることに。

おかず類やフルーツはタッパで持ってきているので
おにぎり2個購入。

こんな凄い道を行きました



どこかのレストランに入るより早いし
時間の節約になるので、ここのところ
このスタイルが定着しつつあります。


まーちゃんが「新潟県の観光ガイドブック」を
店から買って帰ってきたので、このあと
どこへ行くか検討します。


「え~と 長岡・長岡」とみたら、長岡県立歴史民俗博物館が
あったのでそこに決定!

ナビに電話番号を入れると
30分で到着予定と出ました。

長岡の道の駅

ナビを見ると長岡の駅とは違う方向です。
国道8号線を左へ折れ、チョット行くと
さらに左方向です。

まったくのコの時方向でした。
わざわざ遠まわりとはよほど
山の中なのか?


途中、道の駅(なじら~て)があったので
寄って見る事にしました。


突然現れた道の駅に入るのは
旅の楽しみの一つなので、たいがい
入って見る事にしています。

長岡-道の駅「なじら~て」の内部

ほとんど地元の野菜や果物が多く
その地により特徴がありますが
ここはどうでしょうか?



やはり白菜やキャベツ等が多く売られていました。
そしてある一角に地元の16歳の少女の作品も
売られていました。


名前を「田中翠恵」さんといい、
発達障害がある女性でなんでも3歳から
創作活動を続けているとか。


動物をモチーフにした水彩画やパステル画、
コンピュータグラフィックを製作し、
木工作品も販売されています。

田中さん販売コーナー



今年の春に、長岡市で初の個展を開き
ニュースや新聞にも取り上げられたそうです。

そんな彼女の作品(絵葉書)と木工品などを
購入しました。


はがき1枚125円 を5枚、
木工作品(キーホルダー)120円を
2つ購入しました。


ネコの絵や野菜の絵、
魚の形の木、自動車の形の木などですが
彼女のやさしい感性が良く表れています。


ある意味、天才とも言えるでしょう。

彼女の作品





道の駅を出たあとは、右も左も植物だけの
贅沢な道を上に進みました。


2,3分で左にそれらしき建物が現れ駐車場へ。
そのあと、博物館入口まではコンクリ屋根のある
ところをゆっくり歩いて行きます。






画像の説明



ここは雪国!
よく考えられていて、雨や雪があっても
濡れる事無く歩けるようになっています。


周りは広々していて、さすがに県立博物館です。
建物は下の方向にあるようです。


そのため、ごつい感じが無く、
建物も丸みを帯びています。

屋根アリの外の通路



通路を右に折れ、さらに歩くとやがて
正面に入り口が現れ、2重扉で金属感で重い雰囲気の
ドアが左右に「ス~」と開き、チョット感動しました。


おまじない無しでも
人の動きを察知して全く違和感無く
スムースに開くのにはびっくりしました。

やはり中は想像した通りに広くて、受付には
二人の女性がいて対応してくれます。

入口のドア

一人通常500円らしいのですが、今回、土器特別展も
一緒に開催中なのでそれもみることにしたので
一人700円支払いました。

やはり想像していた通りに展示会場は下にあり、
エスカレーターで下がっていきました。


すぐ、受付があってお姉さんが
説明用の無線機械を無料で貸してくれるというので、
一つずつお借りすることにして
イヤホンを耳にセットして歩き出しました。


細長い広いホール通路を歩いていると
スケールの大きさが分かります。

外を見ながら通路を行きます



途中には休憩用のイスや、パンフレットも置いてあり
のんびり出来ます。雨の日には丁度良い暇つぶしに
なるのでピッタリです。


突きあたりまで行くと、いきなり縄文時代の
ヒジリや、つるんとした土器が壁一面に
展示されていました。


ココ新潟は縄文人で有名で、なにかにつけ
じょうもんと関係ありそうな名前がいっぱい
つけられているのがわかります。


「じょなもん」とか「じょんのび」も
そのころからの名残と言えそうです。

縄文土器



この土器はあまりにも有名ですが、火焔土器というもので
今は無き天才「岡本太郎」さんが
初めて縄文土器を見た時に


日本人の感性の素晴らしさに感激して身体が
震えたと著書にしたためています。


世界的にも稀な土器だったのですから。


燃え盛る炎のようなこの土器に
きっと懐かしさで魂の叫びが
聞こえてきそうでした。


こんな形をしていますが、実際は飾りものではなく
毎日の生活に用いた生活道具なのでしょう。

では縄文人の暮らしとはどんなもの
なのでしょうか?

画像の説明

縄文時代は今から約1万2千年前から2500年前まで
約1万年間も続いた時代です。

なので、始めの頃と終わり頃では
随分様子が違うはずですね。

また海の近くに居た人達と山に暮らしていた
人達の生活では随分異なります。



春夏秋冬の季節の中でどんな暮らしを
していたかを見ていきます。


約9500年前の草期の住居は
鹿児島県「上野原遺跡」の復元住居に
見られる丸い形の茅葺き住居でした。


その内部構造は柱が無く、壁だけで
できています。

縄文土器

そして約5000年前の前期になると
主に四角の形に変化しました。


中期になると家の形も今の茅葺きのように
上に構造上丈夫になり飾り意匠のようなものが
付き始めたようです。


構造的にも柱形式が出始め
しっかりして行きました。

前期になると気候が暖かくなり
食料がとても豊富になります。

海辺の生活
海辺の生活













海では沢山の貝や大きな魚、海藻などが
とれました。川にもたくさんの魚がいて


山にはイノシシやシカがいました。
この頃になると植物の栽培が始まり
野菜やヒエ・アワなどの穀類や
さといもも畑で栽培が始まったようです。

山での生活
集落での生活












さらに稲作の栽培もあったかもしれないのです。
少なくても後期には畑で稲作が
行われていたようです。

落とし穴







私達の教科書には「弥生時代から稲作がはじまった」と
かいてありましたが、それはもう古い説なのです。

正確には弥生時代から本格的な水田が作られたと
言うべきでしょう。

長老の祈りをする家

ではその頃、動物はどのよに
捕獲していたのでしょうか?


ここでは猟の様子が実物大で
展示されていますが、
良く、落とし穴がが使われたようです。


もちろん矢じりが多く発見されているので
弓矢を主な道具にしたのでしょう。

石で出来た囲炉裏



この落とし穴の下には穴が有り、ここに
動物が落ちた時に、棒を4.5本立てれていて
動物を挟んで、動けなくしたことがうかがえます。

この時代のその他の道具は
黒曜石などで製作された石のナイフも
多いです。


これは人類最古の道具といっていいでしょう!
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作業する縄文人

ここで一番以外だったのが
縄文人の女性は耳に大きな穴を開けて
耳飾りを付けていたことが分かりました。


アフリカやアジアのナガ族と
同じようにです。


そういえば最近の若い女性は
土人でもないのに鼻や唇にも
飾りをつけていますが、いつの時代も
同じようです。

画像の説明

これが美しさの表現なのか?
きっとそうなのでしょう!


今まで縄文人の暮らしや食べもなどを紹介しましたが
それでは食べ物の保管や、料理に使う土器はどんな風に
作っていたのでしょうか?


実は縄文時代の人たちは「ろくろ」というものを
知りませんでした。


土器は粘土をひもにしたものや
帯状にしたものを利用して作りました。

ひもを巻きあげていくのを巻き上げ式といい
帯を積み重ねていくのを「積み上げ式」といいます。

土器

大きい土器は「積み上げ式」が多いようです。

形が出来上がると文様を付けます。
文様は「縄」「竹」「枝」「貝がら」を利用したようです。

少し乾いてから文様を付けるほうが
やり易いといいます。

そのあと焼くのですが、縄文土器は野焼きといって
たき火の中で焼いたのですね。

釜で焼かれるようになったのは
ず~とあとのことです。



そして縄文人はその頃から漆を
使い始めていました。

画像の説明

うるし技術は縄文時代に始まったのですね。
JAPAN(ジャパン)といえば日本のことですが
もうひとつ意味があるのです。

それは「うるし塗り製品」です。


日本を代表する伝統的な
産業の漆塗り(うるしぬり)の技術は,
縄文時代前期にまで
さかのぼることができるのです.


そしてそれ以後の縄文時代の
全ての時代にウルシ塗りの道具が作られました.
縄文時代後期から晩期にかけて盛んに
造られたとか。

屋根の補修

ウルシの原料はウルシの木に
キズをつけて集めます.

集めたウルシは「生ウルシ最今では木の
皮などで作られた漆入れが

骨董店などでも売られていることがありますが
花入れとして人気があります。

高くて、
とても手が出せるものではありません。



うるしの一本の木からは夏のあいだに
20回ほどウルシがとれるそうですが,
量が少ないのでたくさ」といい,
このままでは使えません.

漆作業

かき混ぜたり濾(こ)したりして,
透明でネバリ気のあるウルシにしていきます.

更にエゴマからとったアブラでウルシと
「ベンガラ」という赤い染料
(せんりょう=色の元)をまぜると


赤いウルシに.土器の
そこなどについている「スス」をまぜると
黒いウルシになりました.


今でもウルシを作る時にエゴマの油は
欠かすことができません.

縄文時代の遺跡からも
エゴマの種が見つかっているそうです。



縄文人の海漁

縄文時代には車や工場はどこにもありませんから
空はどこまでも青く、海はどこまでも透明でした。

縄文時代は気候も暖かく、海でも川でも魚や貝、海藻など
それはそれはたくさんとれたことでしょう。

特に暖流の暖かい海の流れが陸の近くにありましたから
大きなカツオやマグロが近くでとれました。

漁はおもに鹿の角で作った「釣り針」や「モリ」です。
中には刺さると外れるものもありました。


ひもがつけてあり、これで獲物を引き寄せて
とりました。大きい魚やイルカは力が強いので
柄が有ると折れてしまうからです。

画像の説明

釣り針は時代とともに
少しずつ形が違っています。


イルカを入江に追い込んで獲ったりしていて、
イルカの骨が大量に見つかっている遺跡も
ありました。


では、川ではどうだったのでしょうか?


北海道や東北地方では,
秋になると川にはたくさんの
サケが上ってきました。


縄文時代の早期や晩期など寒い時代には
関東地方の川にもサケが
上ってきたといわれています。

画像の説明



とったサケは乾燥させたり「くんせい」」
にして保存したり,他の地方との交易に
使われたと考えられています。

とれたてのサケはお腹をさいて,
かわかしました.このあと小屋の中に入れて
煙でいぶして「くんせい」にします。

丸木舟」(まるきぶね)で
「川エビ」をとっています。


前の日にしずめておいた木の枝を
静かに持ち上げて「かご」で受けると,
たくさんの「川エビ」がとれました。


ゆでたり,やいたり,
いったりして食べました。

魚獲り漁

その他に,アミをしかけておいて魚を
追い立ててとる漁や、
魚がにげられないような
アミをしかけてとる漁もありました.


結局1万年も前から今とほとんど同じように
漁がおこなわれていた事になります。

そして山でも猟をしていました。
縄文人にとって,イノシシや
シカはとても大切な動物でした。

シカは群れ(むれ=沢山の数でいること)で
いることが多いので,
大勢の人で落とし穴やわなに
追い立ててとることもありました.

とった「えものは」
その場で解体(かいたい=
内臓をとりだしたりすること)します。

イノシシの肉は今でも「ボタン鍋」といい,
とてもおいしいものです。

イノシシの肉は意外ですが、
煮込むほど、どんどん柔らかくなり
食べやすくなります。


縄文時代の人はこれを蒸焼きにしたり,
煮込んだり,くんせいや塩漬けにして
食べたと思われます。
食べてみたいですね・・・


ところで,イノシシの土偶
(どぐう=土を焼いて作った人形)は
多くの遺跡から見つかっていますが,
シカの土偶はとても発見された数が
少ないのです.

学者の中にはイノシシはもしかしたら
人間に飼われて(かわれて)いた
かもしれないと言う人もいます.

さて、それでは縄文人たちが好んで付けた
アクセサリーはどんなものでしょうか?

ヒスイの飾りもの

縄文人はミドリのヒスイを好んだように思われます。
日本でヒスイがとれるのは新潟県と
富山県のあいだを流れる糸魚川(いといがわ)だけです。


北は北海道から、南は九州までひろく
ひすい製の玉が発見されているので、
縄文時代にも広い範囲で交易が
あったことを物語っていますね・・・


たれ飾は男女がしていました。
お守りのようなものかもしれません・・・

櫛は木製ですが、漆(うるし)を
ぬったものも数多く発見されています。

画像の説明

腕輪には土器で作ったものと、
貝で作ったものそれに漆を塗った
木製のものとが発見されています。


これも男女がつけていたものです。

耳飾りは「耳栓」(じせん)と呼ばれる、
耳たぶに穴をあけてはめる円いものと、
同じく耳たぶに穴をあけて
差し込む石製の「けつ状耳飾り」があります。


よくこんな重いものを耳に付けていたものと
感心してしまいます。





米作りコーナーでは
西蒲原三潟の人力による水抜き工事の様子が
再現されていました。

機械が無い時代でも人々の知恵と工夫で
難を乗り越えてきたことに感動します。

画像の説明
画像の説明













そんなわけで、縄文人の世界・文化を
見てきましたが、ここ歴史博物館では


新潟県の歩み、雪とくらし、米作りの
コーナーがあり、解説音声を聞きながら
じっくりと見る事が出来ました。


明治の時代から女性による
人権の平等が唱えられ、
先駆者達が盛んに活動をしていたのも
特徴です。


古代の新潟や近世・中世の文化・交流なども
見る事ができます。

画像の説明
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そしてその次の、”雪とくらし”コーナーでは
実物大の、冬の雪かき風景や昔の小さな商店、
駄菓子屋さん、雑貨屋さん、下駄屋さんの

雑貨屋さん
駄菓子屋さん











お店の様子など、昔のままの姿で
見る事ができました。


またビデオで紹介していた昔の
機械がまだ無い時代に、木の切り出しから
板、製品をつくるまでの工程がビデオで
再現されていました。


それを見るとこんなに大変な事を
ていねいにやられていて、とても
感銘を受けました。

下駄の商品展示
下駄屋さん












米作りでは、自然との共生と克服を視点に
本来、米作りに適さなかった自然条件を通して

自然との共生を図りながら全国有数の
米どころを実現させた人々の努力の様子が

実物大で再現されているのが
凄いことです。

昔のカンジキ
馬にもカンジキ
雪ソリ
昔の雪国での冬のお葬式



















そして地元の方達の貴重な資料写真が
何枚も保存されていて、その引き出しから
だれでも見ることができます。


昔のお葬式は写真にあるような
ソリを引きながら行われていたのです。


そして人はもちろん、馬にも専用カンジキを
履かせて雪の中を歩かせました。


こういう事は暖かい雪の降らない地方の
人達には想像できないことです。


実際、資料ビデオを見ると本当にそこに生きる
人達の生命力には驚かされました。

ホールの通路

一通り見終わり、休憩室で自販コーヒーを飲みました。
他に人はいませんでしたが、ここはレストランにも
なっているのですが、のんびり休む事ができます。


そしてこのあと、”にいがたの土偶展”も見て
県立歴史博物館を後にしました。







外は相変わらず雨です。
国道8号線を帰りますと途中に、
団子屋さんがあります。

とても大きな団子の看板が一層一目を
引くのですぐに分かります。

創業は明治35年
江口だんご本店といいます。

江口団子の大きなだんごの看板

この江口だんご本店は、のどかな田園風景が広がり、
ゆったりとした里山と川に囲まれたところにあり、


1500坪の敷地に蔵構えの長屋門の奥に
古民家を再生させた店舗を配置させています。

以前、師匠夫妻に連れてきていただいた
ところで、大変懐かしく思い出します。


多分、2年半ほど前ですが
その時は2階で団子を食べましたが
今回は買いものだけにします。

長屋門

この店のご主人は3代目で、
二つの夢を復活させるという
思いを込めて作られたそうです。


今から十年以上前、大分の湯布院にある
古民家再生の割烹を訪れたおり、
雰囲気の良さに感動されたそうです。


そしてその店の古民家が、故郷新潟からはるばる
運ばれてきたものと知り、それからというもの

新潟の古民家が取り壊される話を聞きつけ
二棟を買い取り、お店として再生させたそうです。

店舗入り口
赴きのある通路には・・・













そしてもう一つが幻の大正餅の復活でした。
この餅は手間がかかり過ぎるため
徐じょに姿を消した幻の品種でしたが
見事復活させたそうです。

「古民家と団子屋」はとても相性がいいので
成功されたのでしょう!

1階は店舗になっていて、2階ではおいしい
おだんごとお茶をいただける甘味喫茶に
なっています。

団子5兄弟

お店の左側では4,5人で笹だんごを
造っていました。


店の外へは、餅を茹でる笹の煙が
良い匂いをさせていました。


笹だんごを始めとする江口だんごの商品は
全てこちらで作られているそうです。


お店の中は太い柱と太い梁が見る人を
圧倒します。

梁が見事です
店舗の内部













なつかしいお釜もあります。

お店から山方向、右を見る
お店から山方向、左を見る







中では笹団子を作っていました。
だんご販売

















ここを通る時は必ず寄って見てほしいと
思います。

湯本館

そのあと私達は帰りの途中をチョットだけ寄り道し
温泉に入りました。

看板を見つけたので電話番号をナビにセットしたら
15分ほどのところでした。


湯元館という処ですが、行ってみると名前の通り、
いくつかある温泉の山の一番奥にある温泉でした。
奥の湯、広田鉱泉くつろぎの宿とあります。

場所は柏崎市広田という所です。


小じんまりとしていますが
以外に中は綺麗でした。


四時過ぎのまだ早い時間のためか?
お客さんは少なく、男湯は誰もいませんでした。
入ってみると、以外にもぬるぬるとした湯で

湯殿

歩くのに滑りそうで、ゆっくり
のっそりあるいて入ります。


お湯もツルツルです。
肌にとてもいいそうで、源泉をそのままに
流し続けている純度100%の
天然温泉でした。

ここは新潟県屈指の薬湯としても良く
知られているとの事でした。
泉質はナトリウム塩化物泉で
胃腸病、神経痛、や婦人病や


美肌効果、疲労回復、リュウマチ、皮膚病にも
効果的だそうです。


女将さんの話では。
この宿は広田鉱泉では最も歴史が古く
明治初期に開業し地元では「奥の湯」といわれ
多くの人々に呼ばれ親しまれているとか。

脱衣所

自然に囲まれた越後の秘湯というのは
確かでしょう!

今まで入った温泉では初めての
感じで、出たあとが何とも気持よく
さっぱりしていました。
流石に越後の秘湯。

500円で入れましたが、夕食は出していないそうです。
お昼なら食事が可能とのことでした。


予約宿泊なら当然ながら可能です。
ここならのんびりとした時間を
過ごせると思います。


昨日は自転車で東京から来ている外国人が
泊っていったそうです。

露天風呂

露天風呂に行くと、目の前が山で
自然を肌に感じられますが、きょうは
あいにく雨なので直ぐ出てしまいました。


天気が良ければ、澄んだ空気と
緑の風を感じられること請け合いです。


ここは特別おすすめの
温泉でした。


夕食は、残念ながらここでは食べられないので
帰ってから「じょんのびアン」で食事しました。




翌日は雨も上がり、気持よく朝の7時のチャイム
が聞こえました。

画像の説明

明日は帰るので、今日は色々そのための準備をします。
来年の春までは来られませんので


雪囲いを再度確認したり、落ちた葉を燃やしたりと
忙しく作業します。


最後の日になると部落のみなさんが
野菜を持って来てくださいます。


裏の柿の木は珍しく紅葉して赤くなっていました。
前の畑のつつじの木に「カマキリ」の卵を2つ
見つけました。

裏の柿の木

あぶらやのおばあちゃんの話によると
カマキリが卵を産むとき、木の上の方に生んだ時は
大雪になるそうです。


言われて良く見るとかなり上にありました。
と、言う事は今年の冬は大雪?かも知れませんが・・
大雪だけは勘弁してもらいたいですね。


部落の方達も、雪かきが大変ですし、
私達も心配が増えるというもの。


雪国の人の事故がないようにお祈りします。

カマキリの卵2個
頂いた野菜












さて、明日帰ると云う時はじょんのび村へ
温泉と食事ですが、どうしたことか?


月湯女温泉で食事したくなったので
食事だけは月湯女で、温泉は
じょんのび村で入ることにしました。

画像の説明

月湯女はチョット前に経営者が変わり
玄関周りや室内が改装されて
とても綺麗になりました。

行ってみると骨董品が置かれていて
珍しいものばかりが販売されていました。
これは驚きです。


今までは骨董の販売は一度も
ありませんでしたから・・

食事が用意される間、品定めして
食後に糸車のようなものを
購入してから「じょんのび村」へ・・

糸車

ミシンのように足で踏み台を動かし、
木の車が周ります。それがベルトで
小さな糸車が回るようなのですが
ベルトは無い状態でした。

珍しいし面白いものです。
ベルトはミシン用を購入すれば
使えるようですが、

使い方と用途が今一分かりませんでした。
こみんぐ辞典で調べてみましたが、
無かったので今度部落のおばあちゃんに
聞いてみることにします。

糸車

帰ると早速、写真をとりました。
古民具好きには掘り出しに違いないでしょう。

僕は大変満足し喜んでいたのです。

明日は朝早いし、早く寝ます。
しかし、どうしたことか
さっぱり眠れません。

あげくのはては、もう一人の自分の声が聞こえ
僕にささやきます。

お前は買うものを間違っていないか?
と声が聞こえます。

そう言われて考えると、思いだしました。
実は珍しい磁器で出来た「四角のとっくり」を
思いだしたのです。

油屋さんご夫婦

そうです。あれは有田焼と思われる
江戸とっくりです。
日本地図のようなものが描かれていて

駿河、とか越後とか 甲斐とか書いてあるのが
目に浮かびます。

そして、その四角いとっくりが何処かの美術館に
置かれていて、スポットライトに照らされて
いるのが目に浮かびました。

どうやら僕は買うものを間違えたようなのです。
あの「四角のとっくり」が確かに置いてあったのを
思い出しました。

swfu/d/2011_1113jonnobi0018.JPG

あれを買わなければいけなかったのです。
直感か?何か分からないものが
しつこく僕にささやくのでした。

でも、あれはもう2度と手に入らないのか?と
自問しました。

明日このまま帰れば方向も逆ですし
無理でしょう。




翌日、静岡へ帰る日になりました。
水道の水抜きや玄関の雪囲いを終え
車に乗ります。

時刻はもう8時前です。

今年一年お世話になったこの「じょんのびアン」とも
さみしいですが来年春までお別れです。

部落のみなさんとも来年、元気で会うことを
約束して別れました。

画像の説明

山を降り、左へ行けば昨夜、出てきた
「四角いとっくり」とは
もう永遠に会えないのか?

と思うとどうしても買わない訳には
いかなくなりました。

エイ!とハンドルを右へきり
十日町方向へと車が向かいました。

途中おいしいパン屋さんがあるので
パンを買って帰ります。

その間に月湯女に電話してみました。
元気なおばちゃんの声が聞こえました。

温泉宿なのでお店は開いているらしい。
「え~ 四角のとっくりいくらですか?」
と聞いてみると信じられない安さでした。

画像の説明

「今から行きます」と言って電話を切り
そのあと月湯女へ行き、無事購入!

これで後悔することは無し。
「良かった~」と胸をなでおろし
よく見ると実に良く出来ていました。

各県の所でそれぞれチョットだけ
膨らみがあり実に自然な感じです。

文字は右から左へ書いてありました。
日本地図は実にいい加減。

江戸時代ではこんなものでしょう!と
納得!

千曲川道の駅

車は国道117号線を
豊田飯山方向へ走ります。


帰りの長野の「千曲川道の駅」でリンゴを
買って帰ります。





いつもご覧いただき
ありがとうございます。

角とっくり

静岡の家に帰ってからこの染付「角とっくり」の文献を
を調べてみたところ、同じものはありませんでしたが、

同じような絵柄の皿がみつかりました。
推定のところでは「染付地図角とっくり」で

天保時代のものであることが判りました。
この時代、商人が力をつけ、国内の需要が

高まりだした後期、文様も多様化し、庶民文化の
花開く様子が伝わってきます。

非常に珍しいものなので、骨董市などに
出る事はまずないほどの貴重なものでした。




2012春、古民家の改修8へ つづきます。






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